ファインプレー
父親から葬儀にこの絵が飾られてたとLINE。
この絵を描いた当時僕は美大生で、法事の度に何年かに一度会うくらいの親戚の人にやたらと肖像画を描いてほしいと頼まれてました。
「章生の絵を自分の葬式に飾るでよ~」「価値がでる前にサイン付きで描いてもらわんと」なんて親戚ノリなやり取りもあったかと思います。
今回送られてきたおばさんの絵の頼まれ方の経緯はよく覚えてませんが。
ただ、正直描きたい絵じゃないし、少しめんどくさいなと思いながらも親からもまぁ、ここはひとつ頼む!的な感じて描いたかと思います。
僕は所詮18、19くらいのクソガキで、思春期に毛が生えたような頃。
描きたい絵じゃないと思いながらも、だからと言って“自分の絵”が確立されているかと言えば何もなく。
写真から起こす肖像画って美大受験を経験した美大生ならわりと少しのテクニックで描けてしまうのです。
嫌々描きながらも、着地点が容易なこの肖像画の制作に見失いそうな自分を見つけたりもしつつ、尚且つ絵を描いて人が喜んでくれるその喜びも密かに感じていました。
お金ももらえたしね(笑)
でも嫌々なんです。
まったくもって思春期ですよね。
話を戻すと、おばさんと僕とは直接の血縁はない遠い親戚で、会うのは法事の時くらい。
でも絵を描いてあげてからは数年に一度の法事の度に嬉しそうな顔でお礼を何度も繰り返されてました。
最近では三年位前かな。
身体を随分と悪くされ杖ついて腰が曲がって、ゆっくり歩きながら僕の前にきてやっぱり肖像画のお礼を何度もされる。
そうなってくると僕は絵を描いた自分のモチベーションとこの状況の温度差に少し罪悪感みたいなものもあったり。
でもその僕の少しの罪悪感を払拭してくれたことがありました。
主人公のゾウの王様があなたのペットにも冠を配りますよって銘打って送ってもらった画像をもとに僕が忠実に絵に起こす。
そこにひだ襟を描き冠をコラージュして送り返す。
今でもちょくちょく注文もらってますが、
当時は凄い勢いで依頼が入り、一時ストップしたりと割とありがたく盛り上げていただけました。
この時僕が描くにあたり守ったルールはペットをデフォルメ(変形、誇張、簡略化)しないということ。
あくまで形も色も写真に忠実に書き起こすということ。
(シリアルナンバーが浅い初期のころは探り探りなのでデフォルメありました)
僕は皆さんのペットのことをなにも知らなく、写真情報が全て。
その情報を曲げてしまったらその子ではなくなってしまうわけだし、その構図で写真を撮った、またはその写真をチョイスしたということ自体が飼い主さんの愛であって、愛情はもうすでに完結してるわけで。
僕はもうその完結した愛情をそのまま写しとることに専念したわけです。
“そのまま”だからこそ愛は変わらず移行するかなと。
アーティストとしての“自分なり”を殺しながら描けたのは、プロジェクトの大きな枠組みそれ自体が僕の表現だったので違和感なく遂行できたんです。
耳が裏返った画像が愛おしいと思ってる飼い主さんの愛をそのまんま。
お子さんが大事に飼ってるザリガニもそのまんま。
まんま
だからこのプロジェクトもかなり作業的でした。
変な話、僕の愛情なんて注いでません。注いだとたんに何かが壊れてしまう。
ただ忠実に誠実に描くだけ。
淡々とした作業です。
既にある愛情の形をそのまま書き写すことが結果的に愛情溢れる絵になったのです。
温かく仕上げていただけて。。と感謝の言葉をいっぱいもらいました。
でも温かい気持ちで描いた訳ではなくて、画像に温度が既にあったんです。
気持ちを込めない方が伝わる絵があるってこと。
変な話ですよね(笑)
おばさんは、少し若い頃の、大好きな赤い服を着たお気に入りの写真を十代のこのクソガキに何かを期待して渡しました。
法事でしかあわないおばさんの事を僕はなにも知らない。
その写真情報が全て。
僕はその写真をテクニックだけでそのままキャンバスに描き写しました。
それはもう淡々とした作業でした。
そしておばさんは亡くなるまで二十数年間この絵を飾り続け、だんだんと曲がっていく腰をかばいながら何度も僕に頭をさげ嬉しそうにお礼をいいました。
キャンバスの中の歳をとらない自分を見て何を語りかけてたんでしょうか。
きっと遠い目をして穏やかな時間が流れたのではないでしょうか。
今思うとおばさんのお気に入り写真をデフォルメせずそのまま絵にしたこと。
結果的に彼女の自己愛をそのまま自己愛として描けたこと。
そしてなにより僕にはまだスキルが乏しくそのまましか描けなかったこと。
それこそがクソガキの“ファインプレー”だったのかなと。
今ここへきてそう思えるようになったのです。
絵が描けてよかった。
おばさん、おつかれさま。
ありがとうございました。
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