本日涅槃図納品しました。
「桃牛寺令和涅槃図」
本日展示作業を終え本堂にて公開されました。
色んな仕事を並行しながらも四か月、ほぼ生活の一部になってたので少し寂しい気もします。
テーマがテーマなので随分と「命」と向き合いました。
まず、令和の人々が救われる涅槃図にしなくちゃいけない。
これは大前提。
2500年前の釈迦の死を現代人が見守ってます。
そこが既に時間的な概念は崩壊していて、それこそが大きなテーマとなりました。
宇宙が始まって「時間」なんてものは何一つ進んでません。
時間は概念。人間界のルール。
秒針はただ電池で動いてるだけで実は進むものなんて何もない。
あるのはただただ広い「空間」
「空間」だけが沈黙のまま何一つ進まず、在る。
この世界は瞬間ですらないんです。
そこを噛み砕いだ時、過去、現在、未来の概念もなくなります。
「死」が悲しいのは過ぎ去った過去になるからです。
言い換えると過ぎ去ったと思い込むから。
実は何一つ過ぎ去ってはなくて、時間的なベクトルで言う過去が「後ろ」だとしたならば、時間の概念のない空間としての過去は「となり」
今まで悲しくて悲しくてどんどん過ぎ去ってしまう、遠くに行ってしまうと思っていた、思い込んでた命。
実は直ぐとなりで並走しています。
ずっと一緒に居るんです。
ずっと同時に在るんです。
でもやっぱり悲しいですよね。
こんなこと頭でいくら分かっても死を目の前にしたら直ぐ忘れてしまう。
だから“その時”にこの真実を思い出して、少しでも前に進めるきっかけとなり、少しでも心癒される涅槃図になるといいなと思ってます。
絵の内容にひとつひとつ触れていくとくそ長くなります笑
その辺はまたの機会に。
でも上記の予備知識を踏まえて見てもらえたら、色んなおかしな描写も腑に落ちてもらえると思います。
桃牛寺の本堂でいつでも見られます。ご自由に入ってもらってよいそうです。
今日の納品含めテレビ取材も受けてます。
また時期がきたらお知らせしますね。
桃牛寺
愛知県新城市字的場82
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